三が日もそろそろ終わりですね。いかがお過ごしでしょうか。
管理人は初夢に何を見たか忘れてしまいましたw
冬コミで発行した本の中で、ルカはメイコを、メイコはルカと、やがてはカイトを夢に見ていました。
あのお話の時代背景は、漠然と古代~平安時代を想定しています。
当時は夢の中に誰かが現れた場合、「その人が自分をことを想ってくれている」と解釈したんだそうですね。
学生時代に古文の授業で教わって「何そのストーカー思考(´д`)」って思ったもんですw
“ いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞきる”
小野小町の詠んだ歌です。
私この歌好きなんですよー!
「寝間着の袖を折り返して寝たら夢で恋しい人に逢える」というおまじないがあったそうで、それをふまえ、「とても切実に恋しくて逢いたくてたまらないから、袖だけじゃなく衣そのものを裏返して着ます」という意味になります。
「夢で良いから逢いたい」なのか「夢の中でも逢いたい」なのか。
「夢で逢える=想う相手に想われている」ということだから、恋の成就そのものを願っているのか。
その辺りの正確な解釈すら判らないのですが、何故かこの歌に惹かれます。
「いとせめて」の切羽詰まってる感じと、その解決策が「衣を返す」おまじないであるというささやかさ。そのギャップが余計に恋しさを表現しているなぁと思うわけです。そうせずには居られないの! みたいな。
盲目的とすら感じます。
きっとこの人は恋が叶うだの想いが届くだの、そんなことすら考えてない気がする。
ただ恋しい。ただ逢いたい。逢いたいから衣を裏返す。それだけ。その切実さが胸に刺さる。
逢いたいのに逢えない、逢えないからこそ余計に恋しい。
想えば想うだけ切なさが募るだけなのに、それでも想い続ける。
そんな気持ちを、あのお話の中でちゃんと表現できていたかなぁ。
いくら書いても自分が納得いく文章というのは中々書けませんし、読み手さんを納得させるとなったら更にハードルが高くなります。
「自分が何を好きか」書こうとすれば「何故好きか」を考える必要があるんですね。
もっと感覚と思考を研ぎ澄ませつつ、創作を続けていきたいです。
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